二位の尼 時子
平清盛の正妻

清盛よりもお金持ちの家柄だったので、清盛は結婚した当時は
「逆玉」でした。

その後、三男宗盛・四男知盛・五男重衡を出産。

数多くの妾の子供をも引き取り育て、ゴッドマザーとして平家に君臨していました。

が、清盛が常盤御前を妾に持ったことだけは許せませんでした。

その後、清盛が死ぬと時子の生んだ息子・宗盛が平家の棟梁となりますが、宗盛はイマイチ棟梁としての資質に欠けていました。

そのため平家は衰退していくのです。

そして平家と源氏の最終決戦「壇ノ浦の合戦」

天皇であり、孫である「安徳天皇」を胸に抱き
「海の下の都へ遊びに参りましょう」と、壇ノ浦の海へと沈んで行ったのでした。


この時代をもっと知りたい人は平安時代その4


 

                        時子さんにインタビュー
ハガクレ 今回は平清盛さんの正妻、時子さんに来ていただきましたー!こんちはっ! 

時子 オホホ。こんにちは

ハガクレ さっそく聞いてみたいんですけど、清盛さんってどんな人でした?

時子 清盛殿はな、それは素晴らしいお方でありましたな。

武家が摂関家を凌ぐ勢いであった。それはすごいことなのですよ。

ハガクレ なんとなくわかりますね。あのころ「武士」は公卿連中の「犬」みたいな感じだったんですよね

時子 そうなのじゃ。公卿連中は武士を下に見まくっていたからの。

そんな中で、清盛殿は一生懸命頑張っておった。

ハガクレ だけど平家は衰退してしまいましたよね?

時子 それも全て清盛殿が優しすぎたせいじゃ。

ハガクレ あの清盛さんが優しい?なんか怖いイメージがありまくりなんですけど

時子 本当はバカみたく優しい男なのじゃよ。ワタクシと結婚したときも、そりゃあ優しいお方でな。

その優しさが平家を衰退させることになったのじゃ

ハガクレ へぇー。何でですか?

時子 そもそもな、平治の乱で負けた源氏の息子達を殺さずに生かしておくなどと、生ぬるいことをしたのが始まりじゃ。

源義朝の嫡男である頼朝を、義母である池ノ禅尼に命を助けるようお願いされて流罪にするわ、義経に至っては・・・

ハガクレ あー、常盤御前さんの息子の義経さんですね?

時子 ええい!思い出しても腹の立つ!あの女は清盛殿に色目を使い妾になったのじゃ。

源氏の棟梁(ボス)の妾でありながら、自分の夫を殺した男の妾になるとは!!!

ハガクレ でもそれが常盤さんの生きていく術だったんじゃないですか?

時子 ホホホホホ!生き延びていく術?

棟梁の妾でありながら生き抜こうとするその根性が浅ましいのじゃ!

武家の妾になったからには、女としての武道を貫けばよろしいのじゃ!

ハガクレ それって自害しろってことですか?

時子 当たり前であろう!仮にも源氏の棟梁の妾であるぞ!?

散々いい思いをしたくせに、命乞いなど何を言うておるのじゃ!清盛殿にお色気攻撃をしよって!何が都一の美女じゃ!顔と体だけの女は脳みそが足りんとみえるわ

ハガクレ す・・すっごく常盤さんのことキライなんですね。

時子 あぁ嫌いじゃ!あの女の息子を生かしたことによって我が平家一門は・・・

ハガクレ どうなったんですか?

時子 清盛殿の優しさによって生かした源氏の息子達によって、平家一門は京都の都を追われてなぁ

ハガクレ フムフム

時子 悪いときには悪いことが続くものよ。清盛殿が病気になってしまったのじゃ。

比叡山の水で体を拭っても熱はいっこうに引かぬ。

そして「源頼朝の首をわが墓前に置け」と遺言して死んでいったのじゃ

ハガクレ ほぉー

時子 清盛殿の後、平家の棟梁となったのがわが息子の三男・宗盛だったのじゃ。

宗盛は優しくいい子であったが、武士としての資質はゼロでな。

ハガクレ そうなんですか

時子 あれよあれよという間に平家は落ちぶれていったのじゃ。

しかも我が平家を先頭に立って攻めたのがあの憎っくき女の息子・義経じゃ!

あの女共々、あれだけ清盛殿に世話になっておきながら、よくも平家に刃を向けれたものじゃ

ハガクレ 話しを聞いてると、なんだかそうかもしれないなーって思ってきちゃいますね

時子 そうかもしれないではない!そうなのじゃ!

宗盛は義経に攻められ続けショックでな。とうとう壇ノ浦に平家の兵力全てを集結させたのじゃ

ハガクレ あの有名な壇ノ浦の合戦ですね!!

時子 そうじゃ。源氏は白い旗を船につけ、平家は赤い旗を船につけてお互い死力の限りを尽くして戦った合戦じゃ。

じゃが、われら平家一門の赤い旗がバタバタと倒れよってな・・・

ハガクレ 切ないですね

時子 切ないどころではない!あんなに栄華を極めた平家が、今このワタクシの目の前で倒れ行く様は・・・

ハガクレ ・・・・・

時子 とうとうな、四男の知盛が「我らも武士じゃ!敵に首を討たれるくらいなら、自ら死のう」と言い出してな

ハガクレ えっ!じゃあ・・・

時子 そうじゃ。われらも平家の女じゃ。捕らえられたとて源氏の慰み者になるだけじゃ。

あんなヤツラに辱めを受けるくらいなら死んだ方がマシじゃ。

ただ一つ辛かったのは孫の安徳天皇のことじゃ

ハガクレ 安徳天皇というと?

時子 わが娘・徳子と高倉天皇の息子でな。ワタクシの孫じゃ。

まだ8歳でな、「おばあちゃん、ボクこれからどこに行くの?」と聞きおった。

ハガクレ ・・・・

時子 ワタクシが「海の下の都に遊びに行こうな」と言ったら、嬉しそうに笑ったのじゃ。

最後に哀しい嘘をついてしもうた

ハガクレ めちゃくちゃ哀しいですね(涙)

時子 ワタクシは安徳天皇を抱きかかえ、壇ノ浦の海へ沈んでいったのじゃよ。無念この上ない

ハガクレ でも娘の徳子さんは、沈んだところを源氏の槍に引っかかって助けらたんですよ

時子 聞きとうない!負けた将の娘がどのような目にあうかわかるじゃろ?わが娘は生き残ってしまったばっかりに・・・。

ええい!もうヤメじゃ!思い出しとうもない!ワタクシは帰る!家で安徳が待っているのでご飯を作らねば!

ハガクレ えっ!?

時子 今は海の下の都ではなく、空の上の都で暮らしておるのじゃ。では失礼